「昭和新山・三松正夫記念館」

世界が認めた火山の記録を、未来の「減災文化」へ。地球の鼓動を体感するミュージアム。

施設の沿革:設立の経緯など

当館の前身は、1969年(昭和44年)に開設された「昭和新山資料館」に遡ります。その後、三松正夫の遺志を受け継いだ初代館長・三松三朗によって、1988年(昭和63年)に現在の「三松正夫記念館」として開設されました。

三朗は当館を「世界一小さな火山博物館」として育て上げ、生涯にわたってミマツダイヤグラムをはじめとする貴重な資料の保存と、火山との共生を伝える活動に尽力しました。

2025年(令和7年)の三朗の逝去に伴い、現在は正夫のひ孫にあたる三松靖志が2代目館長を引き継いでいます。また、同年には施設の存続と環境整備を目的としたクラウドファンディングを実施し、全国の多くの方々から温かいご支援をいただきました。

現在は、先人たちが残した歴史的記録を保存・展示する役割にとどまらず、目の前にそびえる昭和新山という「生きた防災教材」を活用し、次世代へ向けて「減災文化」を発信する教育拠点として新たな歩みを進めています。

減災文化とは

当館は「洞爺湖有珠山ジオパーク」の拠点施設であり、この地に根付く「減災文化」の発信拠点です。

「減災文化」とは、火山の脅威を正しく恐れ、その恩恵と共に生きる知恵を次世代へ繋ぐ文化のこと。

この概念の礎を築いたのは、曾祖父・三松正夫の「観測と保護」の精神、そしてそれを地域全体の仕組みへと昇華させた初代館長・三松三朗の情熱でした。

三朗は、火山の記憶を風化させないために、自ら語り部として活動するだけでなく、地域住民が主体となって活動する組織「NPO法人有珠山周辺地域ジオパーク友の会」も設立。さらに、住民が自らの言葉で防災を語る「洞爺湖有珠火山マイスター」制度の創設にも深く関わりました。

火山と向き合い続けてきた生き方は、今や「ジオパーク」や「火山マイスター」という形となり、地域住民一人ひとりの活動へと受け継がれています。当館では現在も、こうした住民組織やマイスターと連携し、世界に誇る「減災文化」を未来の命を守る力へと変える活動を続けています。